2018年岐阜市観光宣伝隊

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織田信長の家紋(織田瓜)

岐阜を訪れる皆様を笑顔に

岐阜信長公おもてなし武将隊・響縁は岐阜の歴史遺産である岐阜城跡、金華山、岐阜公園、信長公居館跡を活用して、
お客様をおもてなし、お出迎えをしています。
また、武家の文化や様々な歴史話、岐阜観光を紹介。
全国でも唯一独自のイベント“岐阜城 戦国体験ワールド”を企画し、楽しい思い出となる日を過ごして頂きたいと思います。
加えて、信長公を始めとする武将と岐阜の関わりを知ってもらい、夢のある地域づくりを目的として活動中です。

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〜 お知らせ 〜

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〜 岐阜の戦国武将 〜

岐阜は美濃国と呼ばれ、斎藤道三・竹中半兵衛・古田織部・明智光秀など多くの戦国武将が誕生しました。また出身ではありませんが、織田信長が天下統一の拠点としたのが岐阜です。岐阜と命名したのも信長で、もともと「井口(いのくち)」と呼ばれていた町の名を、中国の故事からとって「岐阜」と名付けました。
今年2017年は、信長が「岐阜入城・岐阜命名」450年の年にあたり「信長公450プロジェクト」として岐阜市をあげて盛り上げています。
信長公450プロジェクト公式WEBサイトhttps://www.nobunaga450.jp

織田信長の家紋(織田瓜)

〜 岐阜城について 〜

鎌倉時代(1201年)に鎌倉幕府の政所令、二階堂行政が築いたのが最初とされています。その当時の城は山頂に土塁を盛った程度の、城というよりは砦という規模のものだったと言われています。
その後戦国時代になり、美濃の蝮・斎藤道三が大規模な改修を行い、その頃から「難攻不落の山城」といったイメージが出来上がりました。もともと金華山は傾斜が急な独立峰で、麓には長良川が天然の外堀となることもあり、城を築くのに最適な場所でした。
ところが、難攻不落のイメージとは裏腹に意外に何度も落城しています。1564年(永禄7年)には斎藤龍興が竹中半兵衛ら家臣の反乱にあい落城。1567年(永禄10年)には織田信長の美濃侵攻により落城。また1600年(慶長5年)にも関ヶ原合戦時に織田秀信が西軍につき立てこもった際も、福島正則ら東軍に攻められて落城しています。しかし何度落城してもこの城は価値は下がらず、信長は天下統一の拠点として一番長く居城とし、壮大な居館や石垣などを築きより頑強な城へと作り変えました。
その後徳川家康によって廃城とされますが、近代になり再建。「日本の100名城」にも選出され、麓の長良川の鵜飼とともに岐阜観光の中心となっています。

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